支援方針・プロフィール詳細
GLCの支援方針
私が支援時に特に大切にしていることは数値やデータを踏まえた見える化です。
数値には会社運営にかかるプロセスや結果にかかる事実が表れます。即ち、事業にかかる「人」「もの」「金」「情報」が絡み合うプロセスの中でできてきた内容が数値やデータになっていきます。
その為、数値やデータができるまでのプロセスを明確にし、事業者様が分かるように見える化し、行動につながるようにお伝えすることを重視しています。
経営改善の肝は、部門別・商品別・顧客別の原価利益を明確にして、中味を精査分析する事から始めることです。損益計算書の内容を分けて見える化することにより、分かるようになります。
場合によっては、製造日報から製造案件別の収支や原価利益迄の策定を支援し、内容分析をするとともに、予実管理を通して異常値を見つけながら早期対策を行います。また、見積原価の適正性の判断や値上げ方針などの策定なども行っています。
併せて、現場調査を行いデータを取り数値を確認し、経営者様に加えて、必要に応じて現場の従業員との面談や対話等も行いながら支援方針を作ります。
また、経営を統合する仕組みを明らかにするために、事業全体のシステムを明らかにするように心がけながら、事業DDを行うことを大切にしています。
そして、決算書の数値はもちろんですが、その会社の業務フローと業務プロセスに関するKPIなど管理指標となる数値を明確にします。
そこまで、できたところで、それらの数値を押さえた経営会議の仕組み導入を支援します。
この経営会議については現在も数社で継続的な仕組みとして運用支援をしています。
経営改善と併せて事業継続に必要なことは事業承継です。事業承継については、今までに中長期的に経験してきた会社や、今後、行う必要がある会社がほとんどです。
今の経営者の皆様は2代目、3代目の方も多くいらっしゃいます。創業者が作ってきた会社運営の仕組みを、自身のあり方と融合して、円滑な事業承継対応を図り、事業を末永く継続するために不可欠なことが事業全体の仕組みを数値を通じて理解していくことという認識で、そのお手伝いを実行支援の過程で現在も行っています。
実行支援は複雑な内容を伴うケースも増えています。
その為、複雑な内容は適宜専門的な対応ができる専門家や会社との連携を行いながら、適切かつ迅速な対応や支援(※別途フィーが発生)を行っています。
経営者は孤独です。
だからこそ、共に考えていくスタイルの支援を信条とし、「三方良し」を心掛けて伴走型支援を行うことを大切にしています。
近年、経営環境変化のスピードはますます早くなっています。そして、会社の経営課題も複雑になってきています。今起きている経営課題への対応をともに考え、より速やかに解決に向けた取り組みができるように対話や見える化を通じて現状を把握しながら、改善につながる精度の高いコンサルティングを行うことを信条としています。
プロフィール詳細
前職は電力会社のサラリーマンです。大学で法律を学んだ私は何の疑念や方針もなく、卒業後に会社で法律を活かしていこうと思って入社しました。
当時の電力会社の新入社員は現場勤務を4~5年行うということで、私も神奈川県の戸塚にある事業所で、電気工事会社様を相手に配線図を見ながら電気の引き込み線を引き込むまでの工程管理業務に携わったり、お引っ越しの際の電気点灯の受付やご要望対応などの電話対応業務を4年行いました。
社会人に成り立ての現場で、街の電気工事業のおじさんやおばさんたちにもまれながらお客様対応の基礎を学びました。
昭和の古き良き文化の名残もあり、新入社員の洗礼で先輩社員に焼酎を浴びるように飲ませてもらい、酔いつぶれることもよくありました。職場の文化を味わいながら会社の諸先輩方にお世話になっていました。
このころはまだ、受け身の社会人生活を続けており、自分自身でキャリアアップする考えは全くと言って持っていませんでした。
そして、社会人4年目で初めての人事異動を経験します。
そこで、神奈川支店の総務グループに異動。
本店から取締役クラスの役員も来る中、伝統的な会社の総務部門で仕事させていただきました。
その部署で2年経ったときに、突然、企画部事業開発部への異動辞令をいただきます。2001年6月のことでした。
それまで、4万人の会社の縦割り機能別組織の中で、定年までその中の一機能を担う予定で会社生活を送っていました。しかし、正反対で比較的小さな会社で横断的に経営全般に関わる新事業部門へ異動することになりました。
初めての新事業部門では、会社設立に向けたプロジェクト管理をさせていただきました。未経験の中、新会社設立に向けて毎日遅くまで仕事し休日出勤などで対応し、会社設立に向け色々な事を経験させていただきました。そして、4か月ほどで新会社設立。
そのまま、設立された新会社に出向しました。
資本金3億円の土木コンサルティングの会社でした。
その会社には、いきなり出向社員が30人くらいおり、そこで企画・管理部門として、何も無い中から、事業を行う基礎的な契約締結や、給与の体系化、給与計算、社員採用、役員会運営など含め会社の基礎的な体制整備を行いました。
また、そこで初めて会社の決算書に触れました。当時は、法学部出身で財務の勉強はしたことが無くて、決算書を見ても何もわからない状態でした。しかし、業務の中で、事業計画策定など決算書にかかる内容も多くあり、決算書が分からないことに大きな危機感を覚えました。
新事業部門の仕事はトラブルも多々あり、精神的に追い詰められることも多くありました。しかし、横断的に会社経営全般に関わることの楽しさも大いに感じました。そこで、会社経営に触れる機会があったことが、中小企業診断士を志し、試験勉強を始めるきっかけになりました。
そして、ビジネス実務法務検定1級合格後の2004年秋から本格的に勉強を始めました。受験専門学校では2年学びました。そこで必死になって勉強して中小企業診断士1次試験は1年目からすべての科目で60点を超え合格しました。
しかし、2次試験では2回不合格になりました。
ケース問題への対応が十分では無かったのです。
受験時に在籍していたのは、また別の新事業会社で、今度は東京お台場の先の中央防波堤に所在する日量産廃550t、医療廃棄物50tを焼却できる廃棄物発電の大型プラント施設の開設および運転開始に伴う体制整備の対応でした。
その会社はプロジェクトファイナンスという金融手法で230億円の融資を受けて、建設された施設でした。私が出向した際、ちょうどプラントの運転開始5か月前という時期で、各社からの出向社員が在籍していたものの体制整備は十分にできていませんでした。そんな中、出向社員がプラント運営にかかる未経験の業務を行っていました。
そこで、私は体制整備を中心に担当させていただき業務をしました。さらにプラント運転開始のパーティをお台場の大型ホテルで式典を行う為、その事務のとりまとめを担当しており、トラブルも多い中で、メガバンクとの間でプロジェクトファイナンス管理対応を行っていました。数少ない社員で毎日遅くまで仕事をしたのを思い出します。
そして、3年目の2007年に、1次試験から受験し直し、2次試験含む口述試験まで、何とか合格できました。
その時は、早朝起床も厭わず、朝と帰りの通勤電車の中や、休日は図書館で勉強したのを思い出します。
でも、中小企業診断士の勉強は楽しい。それと受験仲間との交流がモチベーションを維持してくれたのを覚えています。その時の受験仲間とは今でもつながっています。
その後、本社新事業部門に異動し、新事業の総括管理部門などで子会社の経営支援業務やM&A対応などを行っていました。当時は、このまま定年までこの会社で勤めていくのだろうと漠然と思っていましたが、2011年に東日本大震災が起き、その状況が一変しました。
会社はそれまで、10年後に向けた新事業拡大のビジョンを掲げて進めていましたが、大震災1週間後には、新事業縮小、損害賠償対応の為に資産や子会社等を売却する方針に180度方針が変わり、経済産業省主導の総合事業計画で進むことになりました。
その状況で、数か月経った頃、私は住宅性能評価や国交省認可で住宅の瑕疵保険を販売する子会社に総務部長として辞令を受け出向します。
その子会社の総務部長に就任後、1か月でその会社の企画部長が本社に戻ることになり、私が企画部長を兼務することになりました。
そして、人事制度改革の対応を完遂、会社の事業計画の経営目標からブレークダウンしたMBOによる評価制度の運用体制構築と運用、訴訟対応や新規ビジネスアライアンス構築など、本社ではできない経験をさせていただきました。
プロパー社員の中で、率先垂範を心掛けて皆と一緒に取り組みました。
その会社に対する、親会社の方針が2年程経ったところで変わり、とてもキリが良い時期が来ました。そこで、その直前に退職しました。2013年の話です。
その後、中小企業診断士として独立開業。
清水寺の舞台から飛び降りるような気持ちで会社を退職し顧客もいない中0から始めました。 当初、ご紹介いただきご縁をいただいた事業再生コンサルティング会社で4か月間の丁稚奉公からスタートしました。
そこで、週5日間、無給で先輩コンサルタントとともに現場に出向き、コンサルティングに伴う作業を手伝いながら必死に勉強させていただきました。
貯金が段々と減っていき戦々恐々とする中、家族もある私には、精神的に本当にきつい日々でした。その後半年くらいたった頃から、そのコンサルティング会社から、なんとかフィーがある仕事をいただけるようになり、支援会社が1社、2社と段々と増えていきました。
このコンサルティング会社でその後数年間お世話になり、その会社の顧客のスポット対応から長期対応まで数年間で8社程度担当させていただき、その中には4年間担当させていただいた製造業の会社もありました。
その製造業の会社にはほぼ毎週のように訪問し、現場に入り、営業責任者や製造責任者を交え、時にはお昼休みに現場従業員を全員集め勉強会を適時行いながら、改善策を一緒に練るという経験を数年間にわたり行い、最終的にはモノづくり補助金活用し、加工機の新設による加工範囲の拡大を図り、内製化と受注量拡大から利益額の向上などの成果を会社の方と一緒に作ることができました。
そのコンサルティング会社では、他に日次資金繰表作成支援による資金繰り方針策定や資金調達支援、各種機関への経営者同行、事業DDも数社対応、金融機関向け経営改善計画策定支援なども行いました。 並行して、中小企業大学校にて経営革新等認定支援機関研修を受講。
そこでのご縁から、金融機関様からのご依頼を受けての405事業による経営改善計画策定支援をスタートしました。
また、保証協会様からの専門家派遣も同時期から行っています。そして、数年に一度の頻度ですが、中小企業再生支援協議会での対応も行わせていただきました。 これらの業務は最終的に金融機関からの金融支援につながる仕事が多く、そこで、金融機関との金融支援調整のための経営サポート会議(バンクミーティング)や新規融資を含む資金調達や借換保証を活用した金融正常化を含む金融支援に係る経営改善計画の策定やその実行支援に携わらせていただいています。
実行支援は製造業の会社が多くなっています。その内容は、経営会議運営支援、計画対比での予実管理、カテゴリー別原価管理、システム導入支援、製造日報DB構築支援などを行っています。
2018年10月からは、商工会議所の非常勤コーディネーターを拝命し、事業承継についての総合的な支援にも携っています。